追悼:稲盛和夫氏

8月24日に京セラの名誉会長であった稲盛和夫さんの訃報をしりました。私と稲盛さんの出会いは、1995年あたりにはじめて手に取った多分最初の著作である「心を高める、経営を伸ばす」という本であったと思います。当時30歳だった私は、突然の父親の逝去に伴い、新人エンジニアから突然の経営職ということで、何を経営の軸に据えたら良いかわからない中で、稲盛さんの素直な言葉に惹かれ、本の表紙に手垢で薄黒くなるまで読み返したものでした。

 その後、稲盛さんが中小企業の経営者向けの私塾として有名になった地元の「盛和塾」にずいぶん足繁く通い、可能な範囲で全国の例会での稲盛氏の謦咳に接する機会をもてたことは今となっては大変ありがたいことでありました。そこでは「理念」や「心の在り方」といったことを、経営の具体的実践の話と同じように語られていたことが思い出されます。社員のふがいなさを説く経営者には、己のふがいなさを見つめさせ、また西郷隆盛の言葉など引用しながら、「私心のないこと」「公平無私」であることなど、ある種の倫理について、父から直接ふれることのできなかった私にとってはとても貴重な教えとなっている気がします。

 塾では機関誌を始め、講演を収録したテープ(後にCD)など書籍に加え数多くの教材(?)もあったこともあり、休日や仕事の運転中などに繰り返し聞いてきた日々もありました。また塾生同士の善意のつながりも強く、稲盛さんと一緒に撮影した写真を無償で立派なパネルにしておくってきてもらったこともあります。当時の写真をみると、年月の流れを感じます。

とはいえ、氏の講演は「だれにも負けない努力をする」という言葉に見られるように、そのストイックさが際立つものでした。「少したるんできてしまったので、お話しは良い刺激になった」という経営者の方もよくおられましたが、私自身は講演を聴く度に自分の努力不足という点において、自分自身のいたらなさを追い詰めるような体験になることが多く、講演を聴いてげっそりして帰ってくることがくりかえされるようになったこともあり、妻から「元気になれないのなら控えたら」と言われ、徐々に足が遠のいたのでした。

 その後のJALの再建含め、活躍をおいながらも、自分なりの経営とはなにかを模索しつつつまずいたりしているうちにいつのまにか今の齢になってしまいましたが、「心を高める、経営を伸ばす」だけは常に本棚の片隅にお守りのようにおいていました。今回の訃報で改めて手に取りながら、突然経営の世界に放り込まれた当時を思い出しつつ、あらためてはたして自分は成長しているのだろうかと自問自答しています。

 氏がある製品のトラブルで追い詰められたときに、「これは過去の不善業が消えていく機会なのでむしろ喜ばしい」とある僧侶から諭されたという話も、私自身が精神的に厳しいときに支えられるエピソードでもあります。氏のように得度までは行きませんが、世俗とは離れた仏門を経営の中に据えられてきたということは、禅に傾倒したジョブスとはまた違った、独特の経営像であることを感じます。

 天寿をまっとうされたと言えるかと思いますが、松下電器に納めたU字ケルシマという小さなブラウン管の焼き物から始まった企業が、セラミック産業の確立や通信自由化、そして理念の経営の世界的普及ということまで含め、これだけ大きな社会に影響をあたえた経営者はなかなか現れないことだと改めて感じ、その謦咳に少しでも振れられたことに感謝をしたい気持ちです。(合掌)

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