K先生の歌集
この年になると、夜明け前に目が覚めてしまう。若いころは休日にいくらでも朝寝ができたのに、五時になると、習慣のようにNHKをつける。日曜の朝は教育テレビで「こころの時代」、そして「NHK短歌」、「俳句」というながれがルーティーン。
俳句は、現実の描写を型の中に言葉を収めていく感じが工学的な感じがして、よく視聴していた。いつのころか芸能人の句会番組など身近になって、歳時記などをてにして真似事をしてみたこともあった。一方短歌はより自由度が高く、文学的な感じが強くままり心が向かなかった。特に30代に経営に携わるようになって、学生時代はそれなりに触れてきた小説や文学というものに関心がなくなってしまった。触れるのは実用書ばかり、しいていえばノンフィクションまで。情緒に浸っている余裕がなかった。それが最近になって、短歌の番組から流れる一首に胸をつかれることが増えてきた。そしてある歌集のことを思いだした。
小学校低学年のころ、卒業した地元の教会と併設された幼稚園の午後の空き教室で、英会話教室がひらかれるということになった。当時は特に英語を学びたいというモチベーションがあったわけではないのだが、幼稚園の牧師先生によくしてもらったこともあり、1つ違いの弟と旧家に遊びにでもいくようなつもりで通っていた。
先生は当時30歳前半くらいだったのだろうか。都会的な装いの人で、ほっそりした体型でありながら脇ぐりの深いワンピースなどを着たりしていた。子供の英会話教室なのだから、そんなに気取らなくてもいいのにと生意気なことも考えていた、というか考えようと努めていた。
先生はたしかイギリス留学の経験があったようだが、クイーンズ・イングリッシュのなんたるかもよくわからず、単語カードをつかって神経衰弱のようなゲームをしたりして英語に親しんだ。クリスマスには、他の教室の生徒さんと電車で小一時間かかる先生の自宅でパーティなどもやった。
たしか先生はお母さんと2人暮らしだった。当時、戦後の疎開で地主さんの納屋を改造した自宅にすんでいた自分にとって、閑静な住宅街にあるその白い一軒家は、いったこともないイギリスの風情かのように子供ごころに思えた。
数年は通い続けていたのだが、途中で先生は英会話のチェーンから抜けたようだ。生徒も徐々に減ってきて、最後には私と弟の2人になってしまった。そして、私たちは中学生になり、部活もはじめたこともあってしばしば授業を忘れた。あわてて教室にむかったが、先生は薄暗い幼稚園の教室で、電気もつけず、子ども用の小さな椅子に腰かけて小説を読んで待っていた。そして、叱られることはなく、いつも通りに授業が始まる。その静かな配慮さえ、いつしか負担に感じるようになり、中学進学後しばらくして教室は終わった。
それから20年あまり経ち、会社を継ぐことになった私のもとに一通の封書が届いた。中には歌集が入っていた。差出人はK先生だった。着物姿の近影に、面影があったが、英語を教えていたあの先生と、和服を着た歌人の姿に、長い時の流れを感じた。当時の私は環境の変化についていくのが精一杯で、家人にも随分と迷惑をかけていたころ、こうした文学を読み込むゆとりと成熟がなかった。そして今となっては知る由もないのだが、先生の苗字がかわっていなかったこと、そして歌集には「君」を詠んだ歌が並んでいたことが蘇る。
教室に待つ師の面影時過ぎて、真に待つ人のあるを知りけり
短歌もSNS時代で特に若い人にブームであるという。NHK短歌の司会もヒコロヒーと尾崎世界観というのは隔世の感がある。歌集を図書館でかりてきて、K先生の面影を思い出しながら、わずかながら叙情の世界に足を踏み入れてみている。


