セミナー三昧
30年前、突然 一介のエンジニアから経営者という立場になって、途方に暮れた。父とも仕事をする時間もなく、経営とはなにをすればいいのか。手当たり次第に出かけていった。りそな銀行の一橋の関満博先生の後継者講座もダイナミックであったし、京セラ稲盛さんの盛和塾にも在籍して講話CDを覚えるまで聞いた。関東自動車から紀文にうつられた近藤氏のトヨタ生産方式の勉強会も、千代田加工さんや紀文さんのご厚意で参加させてもらったりもした。
内向的な自分にとってはマネジメントも鬼門であった。当時、ちょうどコーチングが日本に入ってきたところで、伊藤守さんのコーチ21の研修にもとりくんだ。2年近くにおよんだが、当時はインターネットが今ほど普及しておらず、同じ電話番号にアクセスしてグループセッションをするという仕組みだった。
その後長い付き合いとなるアサーティブネスも、このコーチングのプログラムの1コマにあったのが知るきっかけだった。こちらも1年間におよぶ養成講座に通い、幾度か試験に落ちながらも続けた。
アドラー心理学のカウンセリング講座も懐かしい。日本にアドラーを紹介した野田俊作さんの著作で存在を知り、神楽坂のヒューマン・ギルドに通って、一連のトレーニングを受けた。子育て中のお母さんが当時はメインだったので、岩井先生からは「経営者がくるなんて珍しい」といわれた。その後岸見一郎さんの「嫌われる勇気」でアドラーもずいぶんメジャーになった。
鈴木規夫さんの主催するケン・ウィルバーの勉強会にも顔をだしていたことは以前にも書いたが、その流れでインテグラル・ライフ・プラクティスという、身体と精神の双方をバランスよくトレーニングするという集まりにも顔をだし、微細な身体感覚ってなんだ、みたいなこともやっていた。中土井さんのオーセンティックワークスの種々のワークショップもオリジナルなワークが印象的で、ワークづくり力に関心したものだ。
その他つらつら思い出してみると、精神科医の水島広子さんのアティテューディナルヒーリングのグループ、エヴァ・ピエラコスのパスワーク、羽根木の家や鎌倉で学んだNVC、その流れからのリタ・マリーのコネクションプラクティス、バート・ヘリンガーのファミリーコンスタレーション、ソマティック心理学、などコミュニケーションと心理学(+精神世界系)の海外のプラクティス、そして「ダライ・ラマのビジネス入門」という書籍から仏教にも興味をもち、東大仏教青年会などで真宗の清沢満之を学んだり、また当時は初期仏教のブームもあり禅系の僧侶の方には何人にも教えをいただいたりした。よくDoing(やり方)ではなくBeing(あり方)も大切といわれるが、そういった方向の模索に徐々に流れていったようにも思える。
いずれにせよ振り返ると、新しいもの好きもあっていろんなものに首をつっこんできた。それぞれは素晴らしい学びの場なのだが、その主体は迷走をしてきたようだ。趣味はなんですか、ときかれて無趣味ですと答えることが多かったのだが、外から見たらこの酔狂は趣味だといわれそうだ。経営という不安定の極みのような生業の中で、不安な気持ちを感じなくてすむように、必死に手帳を埋めていたのが、認めたくはないが多分本当だ。
還暦をすぎ、大病もしたので、楽器いじりとか写真撮影とか、家庭菜園とか、もうすこし世間で趣味といわれるようなものをやってみたいと思う気持ちが湧いてくることもある。が、この数年はAIを始めとした技術革新が恐ろしく早いので、遅れてはなるまいと、強迫的に東大松尾研の講座や放送大学の授業を受けたりしている。週末や休暇もパソコンに向かってしまい、よせばいいのに眼精疲労と肩こりが常態化している。
もちろん若い人のようにはできないという自覚のもと、人の3倍かかっても仕方ないと思いながら取り組んでいるのだが、数年前にデータベース系の講座に参加したときには、周りの若い人が課題を終わって帰っていくのをよそ目に、ホテルに持ち帰ったもののなかなか終わらず夜が明けてしまったときは、情けないと同時に、なんのために根をつめてやっているのかと自分がわからなくなった。
もういい年なのだからそろそろ悟ってはと思うだが、昨年も明治の諸富先生の講座とか、社団法人久野塾のリーダーシップ研修などにも参加して、心を埋めている。最近は人とのつながりがほしいのかもしれない。
教育もままならない紛争地域もあるなかで、こうした機会を色々持てたことはありがたいことだ。経営の神様、松下幸之助は「経営のコツココなりと気づいた価値は百万両」といったが、そうしたものを夢想しながら、あれよという間にこの年になった。
石破前首相が事務所で読書をしながら「世の中のことを1%も知らない」といったがこれはよくわかる。一つ言えるのは、諸行無常、万物流転のなか、社会というもの、人間というものは、自分自身も含め結局わからないものだ、と思いながら人生というものは終わっていくのだろう。
などということを、AI講座の宿題が合格点に届かず、煮詰まっている中で現実逃避で書いてみた。


