パーティー嫌い
年末年始になると、取引先や地元でのパーティのお誘いがある。コロナも影響してか以前よりこうした機会は減ったのだが、あいかわらず昔からパーティが苦手である。当たり障りのない話題の会話をお互いに意味のなく投げ合う、といってしまっては人間の社交という行為を否定してしまいかねないが、そうした雰囲気だけで結構疲れてしまう。それでも、経営者になったころはこうしたパーティーを乗り切ることが仕事だと割り切っていたものだ。
特に就任早々身体を壊し、アルコールが飲めなくなったこともあったので、しらふであっても気持ちを高揚させ、酩酊したかのようになってしまうようにもなってしまった。
特に以前は協力会という名のもとに、取引先を集めた宴会というものがよくあった。仕事上はライバルであったりするケースもあるので、当たり障りのない話でその場を濁す、という時間を持ちこたえて、帰りの電車でへとへとになるということがしばしばであった。
この内向的な性格は経営者として圧倒的に向いていないのではないかと、若いときには思い悩んだ。お恥ずかしい話だが、社内を見回りながら社員さんになんと声をかけてよいかわからず、うろうろしていると「なんか言ってくださいよ」とはっぱをかけられることもあった。が最近では半分あきらめられているという自覚もある。
若いときには外向的精神を強くしようと思って、いわゆる精神修養団体のようなところをいくつもはしごしたこともあった。野外で上半身裸になって大きな声を出したり、みたいなこともやったりしたが、一時的に高揚感があっても、本質が変わるわけでもなく、それでも何か方法があるのではないかと模索した。
十数年くらい前になるが、スーザン・ケインという弁護士がTEDというプレゼンの場で「内向性の力」というプレゼンをしたことは、「Quiet」という著作とともに注目を集め、このプレッシャーから若干でありながら解放された。
また時を同じくして、渡瀬謙さんという元リクルートのトップ営業の方が、内向性を活かした「しゃべらない」サイレントセールスというものも打ち出され、こうしたセミナーに参加したこともあった。営業においては外交的なところも好感をもたれる一方、物静かな人のほうが売り込まれる恐れを感じることなく安心できるというところもある。特にコモディティでない、提案営業が求められる商品サービスでは、後者の方が有効であるという流れもあるようだ。
この渡瀬さんが、かつて内向性の人を対象に定期的に飲み会をやっておられた。原則初対面の飲み会で、参加要件は「無理して話をしなくていい」というもので、私も酔狂と知りながら惹かれるものがあり、何度か参加した。集まっても誰も注文をしないので、変に如才なさを発揮してしまい注文を取ったりして、果たして自分は何を求めてこうした場に参加したのか自問した。そこで思ったのは、やはり人は人とつながっていたいのだなあ、ということである。
スコラ・コンサルトのオフサイトミーティングは、特に外向性を発揮する必要もなく、気軽に本音の話をしようというコンセプトだったので、自分には特に馴染み深いものとなった。当時は企業経営者に加え、社員の方も混ざってこうした場がよく開かれていたので、様々な相乗効果が起こり、耳の痛い話を他社の社員の方から指摘されることもあり、なかなか得がたい体験であった。
また一時は自分たちもしばしば近所の研修施設を借りて、合宿と称してオフサイトを開催し、よく朝まで会社について語り合うということをやっていた。オフサイトとは言いながらも、スコラの方も飲み会を当時はそれなりに重視されていたようで、定時で議論が終わったあとに、飲み会で議論の続きを行うということもしばしばあった。印象的なのは、そうした雰囲気を大切にした社員の方が、社員旅行で一部屋誰も宿泊しない部屋を用意して、いつでも話ができる場を、わざわざ費用をかけて用意してくれたことだ。
いまではこうした長時間の話し合いというものが、働き方改革も含め時代にそぐわなくなった面もあるし、年齢的にも集中度が続かなくなってもきている。しかし、当時スコラ創業の柴田さんは、会話の絶対的な時間の量にこだわっていて、長く話す中で見えてくるお互いの弱さみたいなものから始まる、互いの理解が組織変革の原点とされていたことを思い出す。
改めて外向性で思い出されるのは、ヤマト運輸の小倉さんが、その著作の中で経営者の要素として「明るい性格」を強調されているところだ。小倉氏はご自身で内向的な自覚があったが、これを習慣である程度克服していったということである。こうしてあえて明るい性格が大事というところを表明されるところに、この偉大な経営者の正直さを感じる。そもそも経営論の著作をすることすらおこがましいことで控えてきたという吐露も著作にあったと記憶するが、こうした奥ゆかしさとともに、常に行政と戦ってきた激しさや、引退後に福祉事業に乗り出す優しさも掛け合わさっており、こうした様々な側面が織りなされている根本に、この方のある種の「内向の力」を感じる。
昨年末はある部署から忘年会に誘われ、お酒が入りながらであったが、仕事の話もプライベートも含め気軽に真面目な話をするような宴会に参加でき、当時のオフサイトの雰囲気を懐かしく思い出した。そうした会話の中では、私への耳の痛い話も出てきたが、そうした意見を出せる場をどうやって担保できるか、アルコールの力を借りなくても、タバコ部屋がなくてもできるようになることは重要であると思うが、十分にできているだろうか。
年賀状も徐々になくなり、社員の方の葬儀や結婚式にも無理に呼ばれることも少なくなってきた。そうしたいわゆるパーティー的な儀礼が少なくなっている流れのなかで、どうやってつながりのきっかけをつくっていくことができるのか。パーティー嫌いに新たに問われている課題である。
とりあえずカラオケでも練習しておこうか。


