草取りの季節
草取りの季節がやってきた。雨上がりの実家の庭は、雨後の筍よろしく忽然と雑草が姿をあらわす。そしてこれから秋口までの休日のルーチーンが始まる。実家は父が60近くになって建てたものだ。それまで住んでいた家は、戦後当地に疎開してきた時に、村長さん宅にあった納屋を移築したものと聞いた。人が住めるような納屋というのも子供心に信じがたかったものの、私もその家で成人を迎えた。とはいえもともと住居につくられたものでなかったので、改造に改造が重ねられ、蔦の絡まった母屋は友人から「おばけやしき」と呼ばれていた。
バブルでいい時期だった昭和も終わる頃、父は満を持したように新築を計画した。完成のおりには、経営者仲間を大勢呼んでお披露目をしていたのは、派手なことの嫌いな父らしくない行動だと思った。新居の場所はもともと社員寮の跡地だ。昭和30年代、いわゆる「金の卵」といわれた集団就職の社員の方が、共同生活を送っていた場所だが、そうした時代もおわり、当時はがらんとした寮舎と竹藪の生い茂る場所だった。
父はといえば、お披露目後まもなく、弟が事故に遭い気落ちしていたところに、本人にも病がみつかり入院期間も考えると新居ではそれこそ5,6年しか暮らせなかった。当時はまだ自宅で葬儀を行うことも多く、仏間と客間を続き間にして祭壇をかざると、庭から焼香できる、葬儀のためにしつらえた家のようだったと、今思い出しても寂しくなる。
さて、草取りである。母はとてつもなく几帳面なひとだったので、父亡きあとも庭師の方にお願いしてつつがなく整備をしていた。その後10年、母も父の後を追ったのち、大家族だった住人は結局妻と2人になってしまい、日本家屋特有の寒さで妻が体調を崩し入院したことをきっかけに、一時期暮らしていた離れにうつることになった。私はといえば仕事を理由にして、いや実際に気を配る余裕もなく雑草をはびこらせ、親戚筋からは親不孝だと言われたものだ。とはいえ酷暑もあり、業者さんもいやがってまして草取りなどは積極的にはやってもらえない。妻がなんだかんだでお願いをしてやってもらっても、すぐにもとに戻ってしまう。私も重い腰を上げ、最初は除草剤や草刈り機、種々の草刈り用具など工夫したが、結局は3、400円の小ぶりの鎌が一番使えた。朝や夕方の日差しが弱い時間をみはからって30分とか1時間と決めて少しだけ草と向き合う。夏場は藪蚊に加え、ヤブカラシの花に大きな蜂が蜜を吸いにきていたりするので、なかなか気を抜けない。一度突然大きな蜂が叢から飛び出てきて、逃げる勢いで壁に頭をしこたまぶつけ、数針縫ったこともある。それでも季節や場所によって雑草の種類が違うことがわかってきて、雑草の種類で季節の移り変わりを感じるようになったりしてきた。
実家の庭には、近所にはない白いドクダミが大量に群生している。これは弟が事故にあったときに、ドクダミ茶が良いと聞いてきた母が、わざわざ近所の土手に自生している株を移植したからだ。当時は最先端の西洋医学から民間療法まで、良いと聞いたものは手当たり次第にためしていた。ドクダミの白い花は、亡くなる直前まで弟のことを心配していた母の遺言のようだ。
それでも一度はこの草取りに助けられたことがある。3年前の春だが、数年来のばたばたで検査をうけそこない、久しぶりに近所の病院で胃カメラをうけたところ、逆流性食道炎のところが怪しいと、がんセンターを紹介された。内視鏡手術はしたものの、外科的な処置をした方がよいかもしれず、よくよく検査をしようということになった。若い時に身体を壊したので、病院にはそこそこ何軒も通っていたのだが、そうきたか、と不意打ちをくらったように感じた。そういえば母も事情で検査ができなかった翌年に、大腸に病変が発見されたのだから、むべなるかな。インターネットで調べれば調べるほど、食道手術は大変な術式であることがわかり、命を落とす人もいるという。平日は仕事で紛れるが、休日に家にいると、これからどうなってしまうのかという不安に、検査をしなかった後悔が覆いかぶさり、なんとももいえぬ重苦しい気持ちになる。そんなとき草取りをすると、そうしたことを考える余裕がそのときだけはなくなることに気がつく。目の前の草をとりながら、次の草を探すとなんとかしばらくやりすごせる。妻からは無理をするなといわれるが、ほどほどでやめることができない。何と戦っているのかわからないまま、数時間も無我夢中で雑草と格闘する。結局外科手術をうけたが、長時間の手術と入院からこうしてまた日常にもどることができたことは一大事であった。父母に手を合わせる。
経営は皿回しであるといった人がいて、言いえて妙だなと思った。あちらの皿が倒れそうになったら慌てて回しに行き、ほっと一息今度は別の皿が落ちそうになるという永久運動。こうして考えると、草取りにも近いようにもおもえる。なんとか取り終えたと思うと、別の場所にいつのまにか新たに雑草がはびこっている。少し間を空けると、またたく間に庭は生い茂る。それでも、やったらやったなりに、庭は少しだけ明るくなる。そしてまた雨が降り、名も無き草がまた生き生きと伸び始める。
なぜか「人間の営み」という言葉を頭に浮かんでくる。使い慣れた小鎌をもってもうしばらく実家の庭とのお付き合いは続く。

