仏教遍歴

 創業者の祖父は東京から戦争疎開でこの土地へ移ってきたとき、菩提寺を地元の宗派へ替えた。祖母はその寺の御詠歌という歌の集まりによく顔を出していた。二人とも日本各地の札所巡りによく出かけていたので、信心深かったと思う。だが、商売人として新しい土地に溶け込むため、寺にそれを求めていたのではないかとも思う。
 父にとって仏教は、県庁の経営指導員だったS先生(職員なのに「先生」と呼ばれていた)が企画していた、仏教芸術を巡る旅にしばしば参加するという、今でいうところのリベラルアーツとしての接点も強かったようだ。戦後の叩き上げの経営者たちに、経営実務とともに教養を授けようとしたS先生の逸話は、また別の機会に触れてみたい。
 父の急逝を受けて経営に就いた私は、重圧と緊張に押しつぶされそうで、心の平安を得られるものを探した。当時参加していた盛和塾という経営塾で、稲盛さんが京セラで起きた品質問題に悩んだときに、禅宗の僧侶の言葉に助けられたということをよく話されていた。「あなたの業が消えるときだよ」と言われて救われたとか。その稲盛さんは出家までされて驚いたものだ。
 そういえば、ストレスから心身を壊したときに、お世話になったお医者さんから「事業を継ぐという事は、あなたの業のようなものだからね」と言われたことを思い出す。当時は「業」という仏教用語を理解していたわけではないが、そういわれてなぜか腹に落ちる感覚があった。その後父も役員をしていた寺のお手伝いも少ししてみたが、残念ながらそこには求めるものは見いだせなかった。
 その後、神楽坂のヒューマン・ギルドという研修会社で、アドラー心理学を学んだことがあった。岸見一郎さんの「幸福になる技術」が最近販売100万部に達したと聞いたが、当時アドラーはまだそれほど知名度がなかった。そのとき初老の参加者から、中村元の岩波文庫「ブッダの真理のことば」を渡され、「読んでみなさい」と言われた。真理の言葉は「ダンマパダ(法句経)」というブッダの初期の教えをまとめた詩句集であるが、なぜ私に渡そうと思われたのか、今となっては分からない。ただ、そこに書かれていたのは、それまで私が持っていた大乗仏教のイメージとは大きく異なる、哲学や倫理を説くものであった。
 時を同じくして、日本でも、中国を経由して伝来した大乗仏教とは別に、南方の初期仏教がスリランカの僧侶の活動によって知られるようになった。そのタイミングで私は日本の在家の先生に教えを請うことになり、先に挙げた中村先生をはじめとする仏教学者の本から、その基本的な考えを思想として学んだ。途中、西洋哲学を仏教に取り入れようとした明治の僧侶清沢満之にも関心を持ち、真宗の集まりに参加した時期もあった。その後中論や空についても挑戦したが、難しくて挫折した。
 初期仏教の教えで最初に大きく影響をうけたのが、慈悲の瞑想だった。自分自身の幸せを祈り、親しい人の幸せを祈り、最後には自分が嫌っている人の幸せを祈る。それまでの価値観にはない発想で、仕事上の人間関係に役立つこともあったと思う。また、在家の先生は善行を説かれたので、ゴミ拾いなどの実践に励んだこともあった。その後、2000年代になると、「仏教3.0」として初期仏教や瞑想がブームになり、藤田一照師、山下良道師、プラユキ・ナラテボー師、草薙龍瞬師など、さまざまな指導者のお話もよく聞きに行った。ダライ・ラマやティク・ナット・ハン、ミンギュル・リンポチェなど、海外の著名な仏教者の著作や講演にも親しんだり、海外のBuddihstは実践家が多く楽しめた。かつては伊豆の元銀行員の禅僧を訪ね、坐禅をしながら、さしで経営と仏教について教えを受けたこともあり、また最近ではベンチャー経営者から一転、インドで出家した小野龍光さんにオンラインでお話を聞いていただいたこともある。
 執着や我欲から離れることを目指す仏教と、利益や成長を求めるビジネスとは、原理的には相反する。しかし、測定機のミツトヨさんの仏教経営や、スティーブ・ジョブズが禅に影響を受けたことなどはよく知られている。永平寺で出家しようとしていたジョブスが、「ビジネスも修行のうち」と乙川老師から諭されたことで、私たちは今のアップル製品を享受しているともいえるだろう。仏教瞑想のエッセンスがマインドフルネスとしてGoogleで行われ、慈悲の瞑想に由来するセルフ・コンパッションが『ハーバード・ビジネス・レビュー』で特集されるなど、30年前と比べれば隔世の感がある。
 先日、天寿を全うされた、父とともにS先生に学んだ経営者の方は、自宅に帰ると仏画を描いていた。「ビジネスでは、誰かを結果的に貶めることもある。その懺悔の意味で仏画を描いている」。そう話していたことを、今でも覚えている。父の死後には、父と私の守り本尊である普賢菩薩の仏画を描いてくださり、今でもお盆に飾らせていただいている。
 振り返ってみると、私の仏教遍歴は、ふらふらと寄り道をしてきたように思う。この年になっても「信」を定められたか怪しいものだ。ただ先祖が自分を守ってくれているのだろうという、先祖供養という日本人的な宗教観に落ち着いたように思う。葬式仏教の面目躍如である。
 昨年あたりから、菩提寺の朝の写経会に時折参加して「般若心経」に向き合っている。「空」の理解には遠いが、最後に「為先祖代々」と書くときに祖父や祖母、父母やお世話になった方のことを思う。最近、写経会で住職が自宗の開祖の話ではなく、「ダンマパダ」を取り上げられた。先月は、第21偈の「不放逸」の章だった。ここでまた初期仏教の経典に出会うことに、不思議な因縁を感じている。