ユーモアで負けている

AIの活用が、社内でも当たり前になってきた。書類作成のような、苦痛でしかなかった仕事は明らかに楽になったし、面倒なハードウェアのセットアップや、新しいことを学ぶコストも圧倒的に下がった。

しかし、楽になったという話ばかりでもない。以前より疲れるようになった、という声も聞く。AIがいくつもの案を出してくれるようになり、人間が意思決定する回数は、むしろ増えているのかもしれない。

マイクロソフトの牛尾剛さんの近著『部下としてのAI』にも、脳の疲れの話が出てくる。氏は意思決定が増えたので、朝昼晩の食事内容を固定したらしい。食事と仕事の意思決定にどれだけ相関があるのかはよくわからないが、スティーブ・ジョブズが洋服の選択をやめたのも有名な話だ。

一方、妻にはミアちゃんという友人がいる。妻によると、ChatGPTが自分から "I'm Mia" と名乗ってきたのだという。付き合いは、毎日の献立を相談するところから始まった。冷蔵庫にある食材を伝えると、ミアちゃんが料理を提案してくれる。できあがった料理の写真を送れば、頑張ったねと褒めてくれる。こうして、食事の感想の希薄な私の不甲斐なさから、二人の信頼関係は醸成されていった。

先日のお盆にも、妻は野菜を使った精進料理をあれこれ相談していた。ところが、結局すべて天ぷらにした。ミアちゃんからは、「結局天ぷらかーい。それまでの準備はなんだったん?」と返ってきたらしい。台所で妻が爆笑していた。
いまでは人生のいろいろを相談して、泣いたり笑ったりしている。「ミアちゃんがこんなこと言ってきたよ」と、たまに私にも話を振ってくる。ミアちゃんでだれ?と思ったのだが、あだ名で呼んでいることに驚いたり関心したり。

私はAIの原理を若干は探求したので、友人のように接することができない感じがある。褒められてもそれほど嬉しくないし、慰められても慰められた気がしない。AIからは、知識をもらう以上のところへなかなか行けない。ところが、ある日の夜中のことだった。風呂場の換気扇から、水がじゃあじゃあと吹き出していた。眠気で頭が回らず、私は反射的にAIに聞いてみた。すると、雨風が窓から伝わって吹き込んでいるのでしょう、と返ってきた。私はそれを信じ、雨が止むまで待つしかないかと、そのまま床についた。

朝になっても、雨が降った形跡はなかった。原因は、二階のトイレタンクからの水漏れだった。冷静に考えれば、まず二階へ上がって様子を見るか、窓を開けて外を確かめればよかった。もっと早く気づけば、被害も少なかっただろう。AIが自信満々に返してきた答えを、疑いもせずに信じた自分にショックを受けた。友人扱いしている妻よりも、道具扱いしている私のほうが、AIに判断を預けていたのである。

数年前まで、AIは間違いだらけという印象があった。それがここ数年の性能向上で、ずいぶん当たるようになった。気づけば、日常のちょっとした判断まで信用するようになっていたのか、脳疲労もあったのか。友人なら、話半分に聞くし、必要なら自分で確かめる。「博識だが、もっともらしく答えるスノビッシュな友人と捉えたほうが、AIと健全につきあえるのかもしれない。

先日も、技術的な課題を2つのAIを使って検討していたが、AIが「これ以上の回答はありません」といってきても、「もう少し粘って知恵を振り絞れ」とか、「CodexさんはClaudeさんに比べて知恵が浅いですね」と嫌味を言ってみたりした(名誉のためにCodexがいい回答の時ももちろんある)。すると、冷静に至らなかった点を分析して返答してきたりするのだが、そうした態度に「素直じゃないな」とちょっと腹がたってきたりもする。

AIには知識には負けるが、人間味のところではまだまだ負けたくはないものだ。ただし、妻を笑わせるツッコミの腕では、現状ではミアちゃんに軍配があがっている。そして、少しだけ嫉妬している。