追悼:スコラコンサルト創業者柴田昌治氏

柴田さんの訃報を聞いたのは、年明けの4日であった。昨年傘寿のお祝いメッセージを送って間もない時期であり、正月気分が飛んだ。

柴田さんとの出会いは、約25年前スコラコンサルト主催の「経営者アカデミー」というワーク
ショップであった。私が当時突然経営に携わることになったときに、ベテランの方に頼っていのる
環境下で、どうやって次世代のメンバーを発掘すればよいか途方にくれていたとき、「後継者の
番頭さん問題はウルトラC級」という柴田さんのコラムをみたのが参加のきっかけだった。
「気楽にまじめな話ができるビジネスカジュアル」というワークショップのドレスコードに
とまどいながら、普段はきないジャケットを探しにいったのも思い出の一つだ。

柴田流の変革は、全社一斉を否定し、やらせることを否定し、信頼と内発的動機の醸成から始まる。
この時点で当初拒否反応を示す参加者の方もいた。私自身は推薦図書にあった山岸俊夫の社会
心理学や長谷川真理子やアクセルロッドの進化心理学、はたまたケネスガーゲンの社会構成主義
といった方面に一時傾倒したのも、当時受けたインパクトの強さを物語っている。

ワークショップでは「うまく話そうと思わない」「聞くときは頭を真っ白にして聞く」ことが
重視され、また、人間としての弱みを上手に見せるということも伝えられた。そうしたある種の
トレーニングが自分のその後のスタイルにも大きく影響した。さらにはワークショップを通じて
企業を超えた社員さん同士のつながりもでき、お互いに社外オフサイトを自ら企画してくれる
など、今でいう越境学習の場が自然に発生していた。そもそもインフォーマルグループによる
組織変革という発想が当時はユニークで、人事と評価という目に見えるアプローチしか知らな
かった自分に、組織の中で生きるしんどさや人の心の深遠さに改めて目を開かせていただいた。

柴田さんは著作の中でも、人間を機械のように型にはめること、また立場でも人が動いてしまう
という事実への違和感を常に唱えられていた。そして組織にあえてゆらぎを起こさせる「不安定の
安定」も提唱され、これなどはいわゆる生命の「動的平衡」をいち早くとりいれたといえる。
またコンサルでもないファシリテーションでもない、一緒に考える「プロセスデザイン」という
概念も柴田さんのオリジナルであるが、氷山モデルで組織風土を説明しながらもエドガー・シャイン
をご本人が知らなかったというのも柴田伝説の一つである。

柴田さんには当社の90周年の記念式典で講演もしていただき、そのころから本格化したスコラの
メンバーの方々のご支援もあって、世代交代や新卒採用への道筋、そして事業内容の転換を稚拙ながら徐々に進めることができたのは、自分にとっても予想外の展開であった。そして柴田哲学に心酔
していくことになり、著作をぼろぼろになるまで読み込んだものであった。

しかし、私の不徳の致すところ、ある出来事をきっかけにそうした流れに行き詰まりを生じ、
いままでの積み重ねが打ち砕かれる体験をした。いわゆるミッドライフクライシスなのだろうが当時
私はそれを柴田思想の限界と挫折ととらえ、相当数におよぶスコラ関連の書籍を廃棄するという心理的な焚書を決行した。

その後しばらくよりどころを失って漂流している間は精神的に追い込まれたが、その後中途採用の
方などに改めて組織開発の考えを伝えるにあたり、柴田さんの新書などをもう一度手にすることに
なる。そこには、弱くて強い人間というものへの探求の世界が縦横無尽に展開されていた。
わたしたちが普段無意識に感じていることを観察し言語化する力がまさに柴田節の真骨頂といえる。

私自身は外野であったので詳細はわからないが、柴田さんはその後も海外展開の挑戦、役員会の
チームワークレベルの可視化、「調整から挑戦へ」という新しいコンセプト、戦略コンサルと風土
を合わせたアプローチへの取り組みなど、つねに生涯現役を貫かれたように拝察する。晩年に
数+年ぶりに再び柴田昌治による経営者オフサイトというものに参加させていただいたことは
今となっては貴重な思い出である。

柴田さんが一貫していたのは、よそからもってきた理論ではなく、あくまでもご自身の観察から
手法を編み出すことへのこだわりであった。そもそもオフサイトも研修会社であった当時に
タバコ部屋での参加者の様子から着想したと聞く。そのほか大和ことばで表現すること、
「言うこととやることを一致させる」ではなく「一致させようと常に努める」という表現、
そして写真に映るときには一歩下がって小顔にする、などどこまで真実はわからないが、
常に柴田さんには頑固さがあり、美学があった。

昨年末に岩波新書の「ドラッカー」を読んだが、ドラッカーが大学に所属し、企業にアドバイスを
しながらもあくまでもアカデミズムから距離を置き、自身を社会の一観察者と規定したことを改めて知った。教育の世界から違和感をもちながらビジネスの世界に入り、クライアントに
「うまくいくか保証できません」というところから始めたという伝説も含め、独自の観察で
日本流の組織開発を構築した柴田さんとどこか重なる部分を覚えるのだが、こういう物言いを
故人は好むのかどうなのか。

いずれにせよ私の人生にウルトラCをおこした恩師の一人が逝った。「人間というものはいつまで
もわからないものだ、観念でなく、事実を誠実に自分の目で観察せよ」という言葉を思い出す。

どうぞ安らかに。ご冥福をお祈りします。