会社は社員とその家族の幸せのためにある
表題は1990年代初頭に出版された、猿谷雅治氏の「黒字化せよ、出向社長最後の勝負」という著作の中の、ある章のタイトルです。私自身はこの著作に四半世紀前に経営を承継した当時にであい、大変感銘を受けたことを覚えています。
この著作にあるような「人間の本質に寄り添った経営」というものに惹かれて、その当時スコラ・コンサルトの集まり(当時は「経営者アカデミー」という名称でしたが)に参加するようになったのですが、参加している企業の経営者の方の割と多くのかたが、この著作も読んでおられたことをあらたためて思い出しました、
最近、当時の経営者の先輩がまたこの本についてご自身のブログでとりあげられていたので、私も再読をしてみました。といっても当時の本はすでに整理してしまっていたので、増補版を新たに購入したのですが、初版と違ったのは、猿谷氏の経営に共鳴したある経営コンサルタントの方が押しかけでその経営哲学を晩年まで学ばれ、増補版では解説をあらたに加えられている点でした。
その解説には、心理的安全性やドラッカーの経営思想、ファシリテーション、論理よりも感情を重視したコミュニケーション、その根底にある徹底したY理論(性善説)に基づく経営哲学などがかたられています。いまでこそこうした考えは割と普遍的になってきているように思いますが、30年前としてはかなり新しい考え方であったことを改めて認識しています。
そして「企業は、人類を幸せにするために、人間によって創られたシステムであ」り、企業で過ごす時間を仕事だけでなく、遊びや学びといった物も含めた有意義な社会生活の場にしよう、という思想、そして戦略ではなく「企業の活性化」で勝負するという姿勢には、人間というものへの可能性を信じる姿勢を感じます。
現在では、ライフワークバランスとして、仕事とプライベートを分ける、企業はファンクションであるという考え方も浸透し、ある種の精神主義からの脱却という意味ではよいのかもしれません。一方で、リモートワークが普及しつつある昨今、企業というもののもつコミュニティとしての側面も、その大半を過ごす私たちにとって大切な側面であるともいえるでしょう。
あたかも母性と父性のバランスのように、こうしたファンクションと、コミュニティの両面についてバランスがとれた組織体に属することが、社会的動物である人間であることの特徴を引き出すことができるようにも感じます。筆者もこの点をシステム側面と人間的側面の改革としてまとめていますが、最後に「古い押しつけ的管理思想を捨て、開放的な管理概念によるリーダーシップを発揮すること」「経営としての役割を果たしつつ、人間としては対等に接する」と、そうしたトップの思想が重要であるとまとめています。
さらに興味深いのは、こうした行動が日常的にできているか、客観的に眺められる手段を担保するために、風土改革的な事務局をつくり、そこからのフィードバックを常に得ていた、という内省的「在り方」です。
いまでは、こうした議論も細分化されて理論的に語られることも多くなっているように思いますが、そうしたものを現場で集約した筆者の実践は、今でも古さを感じさせない、人間に対する希望の感じられる著作でした。私自身も少しでもこうした経営に近づけるようになりたいものだと改めて感じています。