兄弟というもの(3)

(承前)神経の損傷は、動作だけではなく、外見には見えない部分にも影響が出る。発汗機能も
衰えるので、夏場は体温調節がむずかしく特に体調を崩しやすい。父母がなくなったあとの一人暮らし
の環境では、私も頻繁に訪問することもできず、一時は食事ができないところまで衰弱したことも
あった。

 そうした一人暮らしを、いろいろな方に支えてもらっていた。マンションの管理人であったYさんは、
高齢になったため商売を引き払って都心にでて、夫婦で管理人となった。仕事の範囲を超えて、普段から
様子を見に行ってくれた。別の場所でお世話になったヘルパーのHさんは、こちらも仕事を超えて、
買い出しや朝食の準備、そして泊まり込みの引っ越しの手伝いまでも対応してくれた。常に近くにいない
家族としてほんとうにありがたく、人の善意というものが身に沁みた。

 弟はあっけらかんとしたところがあるのか、事故後も大勢の友人をつくった。職場の車椅子の友人に
くわえ、ネット上で知り合った仲間も大勢いて、PC仲間や車の仲間など、自分で運転をしてよくでかけた
りもしている。カヌーにも挑戦したこともあるし、最近はご老人向けにパワポをつかって麻雀教室を
開催したという。内向的で付き合いの悪い私からすると、オンラインからでも人脈を広げられる才能に
感心する。

 それでも、障害をもつことで不便なことは多いと思われる。きちんと聞いたことはないのだが、
できないことをある意味開き直って人に頼むということを、どこかでわりきったのではないか思う。
私自身、年齢を重ねると、自分でやることを諦めて人に頼むことを習練していく時期が来るように
思うが、できないことを公にすることは勇気がいる。しかし、老化ということはそういうことでも
あると考えると、これは人間に普遍的なテーマでもあるのだろう。

 事故の当初、家族ぐるみでお付き合いのあった近所の高名なお医者が、見舞いに来られた
ときにこんなことをおっしゃった。
「将来、良い治療法ができるかもしれないから、諦めないでいなさい」
当時私は慰めの言葉として受け取った。しかし、その後のiPS細胞の実用化などをみるにつけ、
医学の進歩はめざましく、今は無きドクターの言葉の重さを思い出す。

 この間さまざまな治療にトライしてきた彼が今取り組んでいるのが、ロボットスーツのHALによる
トレーニングだ。HALとは筑波大の山海先生が開発した、生体電位信号をとりいれて人間の動作を
アシストするというロボットスーツである。弟も10年以上前にはじめて装着したときは、動作が
うまくいかず諦めていた。しかし、その後、さまざまな技術の向上にともなって、今では歩行訓練の
ための欠かせないリハビリテーション器具となった。それでもそれなりに高額であり、トレーナーの数
も少なくまだまだ普及には時間がかかりそうだが、彼は片道2時間のセンターに粘り強く通っている

 余談だが、山海先生には、15年ほど前にドイツの医療系の展示会にいったときに、たまたま会場で
名刺交換させてもらったこともある。当時HALがまだ日本では医療器具として認められていなかったが、
ドイツでは早々と承認されており、日本の遅れを実感した。その後保険適用なども進み、各地にトレーニ
ングセンターも開設されるまでになった。こうした技術の実用化に学問を超えて取り組んだ先生にも頭が
下がる。技術には人の希望を繋ぐ力がある

 私自身、仕事が思うにまかせないときに、思わず弟に弱音を吐いたことがあった。
「なかなか仕事が思うようにいかなくて、いやになるよ」
すると、こう返された。
「オレの人生をみてみろ、思うようになんかいっていないぞ」。
あっさりとこういわれたときに、うっすらとした恥ずしさとともに、人生の縮約としての言葉の
重さを感じて、それ以上なにも言えなかった。

 この話はこれで終わったのだが、彼のこの言葉から、フランクルのあの有名な一節に実感がともなった。
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたち
からなにを期待しているのかが問題なのだ(「夜と霧」池田訳)」
 家族や兄弟は支え合い、という。昔はたいしたこともできないくせに、家族として支えていかなけ
れば、と思っていた。が、今改めて支えられることを体験していることに気がついた。(この項了)