企業内哲学者の時代 

アメリカのいわゆるGAFA企業が哲学者を正社員として採用し始めているという話題を聞き、さすがアメリカの先端企業はアプローチがちがうなあとうならせられる感じがあります。一方で日本の新しいMBAスクールでも哲学を教えたり、また地元のものつくり大学ではドラッカーを基軸にリベラルアーツ教育にも力を入れようとされているところなど、日本でもこれからこうした動きがでてくる予兆も感じます。

 そもそも哲学とはなんなのか。代麻理子さんというライターの方が主催している「未来に残したい授業」というyoutubeのチャンネルで哲学者の西研さんが哲学についてわかりやすく説明をされていました(ちなみに西先生はその昔竹田青嗣の現象学にはまった頃、共著者としてファンでしたがこうして画面でお人柄に触れられるのも時代の進化ですね)。西先生の解説によると、哲学の「合理的な共通了解を議論(または対話)によって育てること」、そしてより狭義にはそうした対話を通じ「よさ、あるいは価値というものの根拠を問うこと」としています。

 つまり、自分と相手の価値観がちがっても、違いに焦点をあてるのではなく、どこまでが共通のものであるか、という重なり具合をお互いに確認すること、そして、その中でなにが「価値」があり良き物としてとらえらるか、を考えることは、仕事の場におきかえると、顧客価値はなにか、私たちが目指したい物はなにか、というものを考えていく「そもそも」の論議になるのでしょう。

 その昔、オフサイトミーティングをスコラの柴田さんの指導の下で導入したときに、「そもそも」を問うことを繰り返し伝えられました。そして、社員の皆さんが組織という壁を乗り越えて、お互いに重なる部分を語り合うことで、それぞれの方の持っている視野が明らかに広がっていくことを感じました。

 教育、研修というものにはいろいろな型があるかと思いますが、私がこうしたプロセスで実感したのは、こうした根本的に視野が広がると、仕事をすること、そして生きることそのものにアンテナが立ってきます。すると後は自づから学びをすすめてくれるようになるということでした。そして当時は「青臭い」議論といわれたこうした営みに、西先生の言われる哲学につながる部分があるのだと感じます。

 もちろん、仕事上では、そもそもの哲学の枠組みからはかなり矮小化されていることでしょうし、オフサイトも無目的にやることの弊害も指摘されることもあります。しかし、先の見えない時代の混迷がますます深まる今日において、こうした根本を考えるという機会は少なくとも従来の学習の機会ではあまりえられないことだと思いますし、私自身オフサイトが人材教育そのものであるということを後になって実感した部分もあります。

 ビジネスは数字とお金でなりたっているという厳然たる事実があり、哲学とはかけ離れた世界観からなりたっています。一方で人間が求める価値を創造していくという未来を拓くプロセスには、ケン・ウィルバーの危惧したように「量」や「数字」だけに要素を分解できないものであることもまた真実でしょう。

 日々の数字を追うことと、こうした価値とはなにかを根源的に問うていくこと、人間という生き物はこの両極に振っていくダイナミックなバランスの中でなりたっているということを、GAFAの動きは改めて提示してくれているように思います。