アサーティブネス(2)

私が学んだのは、国立にあるアサーティブジャパンというNPO団体です。この団体は代表がアン・ディクソン氏の「第4の生き方」(原題:A woman in your own right (貴女の持っている権利)という書籍との出会いからスタートした、社会的弱者の人権活動とつう視点から、アサーティブネスを個人のエンパワーメントと社会変革という視点から伝えつづけているという希有な存在です。とくにユニークなのは、個々がもっている「伝えたい、伝えられない」という課題を生の事例として取上げ、ロールプレイを通じて、個人の変容をグループとして考えていくという、とてもダイナミックなところです。

 一方で、深く考えさせられのは、伝え方のスキルの前に、様々な社会の前提やしがらみのなかで、それでも個としては「対等」であるということはどういうことなのか。親として、社会の一員として、地域の一人として、家族として、役割をまっとうしながらも、一方で内面における対等という考え方をどう統合していくのか、こうしたことに大きな力点がおかれていました。

 トレーニングでは、個人のもっている体面をつくろっている殻をやぶるようなプロセスに挑戦することもあり、単なるコミュニケーションスキルを越えたアプローチを感じました。こうした個人の「葛藤」のプロセスの中から、社会問題の解決の糸口となる個々へのエンパワーメントがあるという信念のもと、様々なバックグラウンドを持つ方がそれぞれの持ち場での課題に挑戦されていました。

 そして、障害、アディクション、差別、マイノリティ、といったいまでこそ認知度が高まってきたそうした個々の背景に私も一人の個としてふれあうことができのは、大きな体験になりました。

 自分自身も障害をもつ家族を持つこと、またその当時古い体質の職場における世代交代のテーマもある中で、いろいろと試みをしました。うまくいったことも、残念なことも様々ありました。しかし、とかく固定化された役割にとどまりがちな組織というものの中で、お互いの固有の歴史というものに理解が至ることで、思いもよらず関係の質というものが変わってくることも体験しました。

 自分なりの理解として、アサーティブネスでは「感情を言語化する」と言うことが一つの肝になってくるように思います。私たちは自分の「考え」ということと「気持ち」ということを区別することはあまり教育されてい内容に思いますし、特に社会人として「感情」を表現することは、未成熟さとしてとらえられることもあり、あまりなじみのないことかと思います。

 私自身も父がなくなったときには、喪に服し悲しみを感じるというよりは、企業経営をどう続けられるのかということにしか気持ちを向けることができず、葬儀でも悲しみを感じることができませんでした。

 

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