夏の日

HPの調子がわるくなり、しばらくご無沙汰していました。その間に思いもよらぬコロナの再拡大と猛暑がつづき、なかなか落ち着かない日々が続いております。

 これを書いているのは8月1日ですが、この日は私自身が25年前に先代の急逝で代表になった日でもあります。父の病によるカウントダウンがはじまっていたとはいえ、茫然自失であった暑い夏の日のことがぼんやり思い出されます。その後多くの人に支えられててきたことも改めて自覚されます。

 話はかわりますが、日経新聞の「私の履歴書」では、俳優の山崎努さんの回が始まりました。和田勉さんや伊丹十三作品で、すごみのあるキャラクターは世代的に忘れられませんが、その面影をひきずる齢85歳とは思えない筆力にうなります。

 20年前というから、還暦をこえてから始められた日記の書き出しに(あまりネタバレしてはまずいのでしょうが)、毎日の起きた時刻を「醒:何時」と書くことで、過去をリセットして今日を始めるという思いを込めているというくだりは、まるでスティーブ・ジョブズの「今日が最後の日」のようでもあり、俳優という生業をもっている所以なのかとも感じます。

 また、それこそ出自から始まる人生でのさまざまな出来事での制約というものを、俳優が配役されるがのごとくとらえ、それに淡々とむきあっていくという姿勢にある種の達観を感じます。

 「私の履歴書」は日経新聞の(スコラの岡村さんの提唱するところの)まさに「一品」でもあり、「ジブンガタリ」(※1)でもあるのですが、私たちもこうして日々自分の「履歴書」というものを無自覚にも刻んでいくわけです。そして、私が重く感じるのは、それぞれの人生の比較不可能な固有性というものです。

 製造業では、標準化や多能工による没個性化が効率性や安全性の意味から避けられないところがありますが、人事でのレーティングを含め、一方でこうしたことが人間が生きるということへの逆ベクトルとなる可能性に十分注意をしなくてはならないでしょう。組織での「公平性」と人間としての「固有性」という矛盾にも向き合っていきたいと思います。

 そして「個性派俳優」というものは、日々の仕事にむきあった、その結果として創られるものだということを、今日の朝刊で感じました。これは私たちの仕事にも通じるものなのかもしれません。

※1)「ジブンガタリ」の記事です。

https://www.asahi.com/and/article/20220708/413328594/