私の原体験
原体験というのは、いわゆる「ものごころついたときの印象的な思い出」というニュアンスがあるかと思います。それはまたの機会に譲りたいと思いますが、この仕事になっての原体験は、父の急逝による事業の引継ぎと、いわゆるITバブルが重なって、仕事の確保に苦労したときの思い出です。
現場があいてしまって活気がなくなってしまったことに、とても焦りを感じました。そして、自分なりにお客さんをまわったり、営業担当者の方に頑張ってもらって、なんとか仕事を確保することができました。しかし、仕事が埋まったある日、ふと気がついたことが、「仕事があるときとないときの社員さんの表情がかわらない」ということに気がついたことでした。
もちろん、私自身の姿勢やあり方に課題も多くあったと思います。一方で、そうした仕事に社員の方一人一人が自らの力で取り組めているかどうか、というのは、単に仕事があるなしではない、というある意味あたりまえのことを、現場の社員さんの表情から感じて、それが心に響きました。
もちろん、仕事をするのは、生活のためでしょう。しかし、その上で自分自身が経営という立場で企業に関わっていく、その目的をもう少し深く考えなさい、とその社員さんの表情が私自身に教え諭しているように感じました。
そうした自分自身が「経営することの目的」ということを、それを機会にことあるごとに考える機会がふえました。そうしたものに今でも明快な回答があるわけではありません。
仕事の苦しみというものは、ある意味生きることの苦しみでもあります。仏教では生きることが「苦」でえあるとさえ言っています。しかし、そうして生きることを運命づけられた私たちが、またそれぞれの性格や能力、固有のDNAという所与の条件の中で、なおかつ生きることを求められるなかで、そうしたわたくしというものを活かす、ことができるのも、仕事というものであると思います。
信頼関係のある仲間とそうした仕事を通じて、少しでも「貢献すること」を肌で感じられる。そうした瞬間に、私たちは生活のための禄に加えて、なぜ生きているのかという意味を感じられる瞬間を与えられるように思うのです。
教条的はあたりまえのことを書きました。今日も連休中ですが皆さんに現場で頑張って頂いています。そうした努力に報いられるような場をつくっていきたいと、原体験を思い出しながら改めて感じています。