リスキリングあるいは50の手習い(3)

先生方は、アカデミアからの出身の方もいれば、民間企業から大学に移られたかたも多かった。
それぞれのご経歴を細かくを聞くことはなかったが、IT系、銀行系、コンサルティングなど、
授業の端々で様々なビジネス体験の話が聴けたことが貴重であった。

ある先生は、下の図にあるような3重に重なった筒の図を示されて、こんな話をされた。

「幼い頃はなんでも主観で行動する時期であるが、成人になるといやでも周囲に合わせざるを
得なくなる客観の時期となる。さて人生をそのまま終わるのか、周囲に合わせつつも
その中に「自分らしさ」を改めて重ねあわせいけるかどうか、これが壮年期のテーマである」
私自身も、50代の半ばにさしかかり、遅まきながら自分らしく生きるとはなにかということを
再度問うていた時期でもあった。場合によっては「年寄りの我が儘」ととられかねないが、
こうしたユングの「個性化」のようなテーマがさりげなく講義の節々にでてくることは意外
でもあり、また大変興味深いものであった。

最近ではイーロンマスクがMBA取得者を採用からは除いているという投稿もあり、ビジネス
実践に対する経営学教育には否定的な意見もきく。しかし実業界から経営学にうつられた先生方は、
総じて「経営学では、実務上の実感としてあたりまえのことしか言っていない」とか「原因(=仮説)
と結果(=業績)の関係を探ろうとしても、ほんの僅かな因果しかみられないことがほとんど」と、
現実的な見方をされていた事が印象に残っている。

欧米の経営学の世界では、科学的、実証的手法でないと評価されないといわれ、個別の事例をあつかった
いわゆるケーススタディは研究としては認められづらいという。一方で「興味深い研究」とみられるのも、
ケーススタディが多いという(注)。たしかに、経営は他社と違うことをやることに意味があるし、企業活動は
複合的な要素の絡み合いの結果なので、お決まりの法則というものなどはみいだしずらいともいえる。
むしろ、経営学の解釈により、今まで実務上でなんとなく感覚的にあたりまえだなあ、と思っていたこと
を、概念化したり、フレームワークに落とし込んだりして「すっきり」させてくれるのが、経営学の効用
のように思う。

私自身の問題意識は、企業が事業のドメインを時代と共にどうやって変化させてきたか、すなわち
生き残りを図ってきたかということであった。ちょうど期を同じくして「両利きの経営」という
著作が出版された。私自身、限られたリソースの中で常に「今日のメシを食べ」つつ、「明日のメシの種を
探す」という矛盾に取り組むことそのものが仕事であったので、この当たり前のような営みに「両利き」という
解釈をつけたところに共感するところがあった。2年次の自由研究ではそんなことに取り組んでみたいと
思ったのだった。

注)赤門マネジメント・レビュー「ケース・スタディ方法論:どのアプローチを選ぶか」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/amr/12/1/12_120102/_article/-char/ja/

平井「人生は図で考える 後半生の時間を最大化する思考法」 朝日新書 2022

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