JAZZの愉しみ
大学に入学してできた友人が、ジャズと落語にずいぶんと精通していた。彼も地方出身者なので、東京のライブハウスや寄席についてはそれほど詳しくはなかったのでは思うのだが、いろいろと連れ回してもらっているうちに、すっかりこの2つのインドア派の愉しみの虜になった。
1980年台は、大正時代に始まったJazzが60年代の変遷を経て、より即興性が高まってきたり、またフュージョンやスムースジャズなど新しい展開を模索していた頃だとおもうが、数多くの日本のジャズプレイヤーが輩出されていた良い時代であった。
Jazzの初ライブ体験は、当時の六本木のサテンドールでの佐藤允彦さんのピアノトリオだったと記憶している。佐藤氏の洒脱なトークと超絶技巧を涼しい顔をしてプレイする姿にはずいぶんと魅了されたものだった。銀座スイング、新宿PitInn、青山ボディアンドソウル、六本木アルフィー、お茶の水Naruなど当時顔をだしていたお店が現在も場所や店構えを替えて健在と聞くと、Jazzが衰退したといわれる昨今でも胸をなでおろす感がある。
友人はどちらかというとフリー派だったので、たとえばピアノでは山下洋輔さんなどをひいきにしていたようで例のピアノ打楽器奏法にもずいぶん引き込まれた。しかし本音ではセロニアスモンクよりもオスカーピーターソンに流れてしまう軟弱さ故、実験的なアプローチや、世界の音楽とのコラボレーションもこなしながら、一方でトリオからボーカル、JJスピリットに代表されるビバップも含めベーシックなアプローチにも戻ってこられる佐藤氏のライブには、地方公演を含め割と頻繁に通ったものだった。
Jazzの魅力はなにかと問われると、(フリーは不得意といいつつも)、そのアドリブ性が圧倒的な魅了の源泉である。メロディーをベースにしながらも、各奏者が自由に展開していく発散と収束のダイナミックバランス。そして誰か一人が主役になることもなく、ドラム、ベース、管のそれぞれが独自の見せ場をもっているという展開も、皆が主役の組織であってほしいという自分のテイストにあっているのだろうか。
かつてジャズ型の組織という言葉が、自律分散組織の比喩としてよく使われたこともあった。オーケストラに着目したドラッカーとの対比もあったが、今日ではオーケストラとジャズ型の融合的な組織感に焦点があたっているように思う。その意味では調和的でありながら、トップダウンとボトムアップ、部署間といった様々な方向からのアプローチのあるインタープレイがJazz型のもう一つの特徴と言えるのではないか。
最近のインターネット音楽配信のおかげで、そもそもCDプレーヤー自体もいつのまにか自宅からなくなって、JazzのCDは屋根裏の一角を占拠することになった。それでもライブでサインをもとめた思い出などもあり、なかなか処分には至らない。といいつつふとニュースから驚くことに最近アナログレコード人気が復活し、レコード針の需要も最盛期の三分の一まで戻ってきているというから驚きである。また最近はWifiで電波をスマホに飛ばすCDプレーヤーなども出ているという。この際もう一度屋根裏の堆積物に光を当ててみようかと思うこの頃である。