風土改革との出会い
「風土改革」という概念を初めて知ったのも、スコラ・コンサルトの柴田さんの著作からでした。25年前、父の急逝後、その当時の幹部の方々を中心に会社の運営をお願いしていたのですが、自分の価値観にあわせていくためには、どうしても幹部においても世代交代が必要でした。当時柴田さんが書いたWeb上のコラムに「後継者の番頭問題はウルトラC」という記事がありました。これは番頭格の方と仕事をしながらも、一方で後継者が自分の価値観にあった体制をつくっていくのはそうとう難しい、という趣旨の内容だったのですが、その当時自分の課題がまさにそこにあったこともあり、こういう視点で物事をとらえている、そのこと自体にとても驚きを感じたものでした。
その後、当時一橋ビジネスレビューに掲載された内発的動機とコア・ネットワークづくりによる企業改革を打ち出した柴田さんと宮入さんの論文に出合い、従来の全社展開改革の考えとまったく異なる考え方に驚き(変革的組織マネジメントとしてのコアネットワーク — 組織風土の問題と構造改革との関係 一橋ビジネスレビュー 2002 Vol50 No.1)、何度も何度も読み返したものです。
そもそも従来型の人事管理しかしらなかった自分にとって、アメとムチではない「やらせない」アプローチはそれこそコペルニクス的転換でもありましたが、当時先行してこうした改革をすすめられていた名古屋のISOWAさんの現場にお邪魔するにつけ、社員の皆さんが、仕事に少しでも活き活きと取り組んでもらえる環境をつくりたい、そうしたアプローチを始めたわけです。当時のISOWAさんのアプローチは、スコラさんの初期のベーシックなもので、定時後に会社の支援をうけながら「いいたいこと(なんでも)をいう」ミーティングを重ねながら、結果的に社員の一人一人の自律性を引き出す、というとても息の長いものでした。それでも、それまでいろいろな外形的な改革を行ってきた磯輪社長にとって、これこそが本質的な改革であるという確信から、利益がでるでないは関係なくやり続けることを後押しした、というのは随分と腹の座ったことだっただろうと今でも感じます。
こうした柴田さんの考えは、いくつかの変遷をへて現在ではPHP新書の一冊にまとめられていますが、(「日本企業の組織風土改革」2016) 、最近改めて読み返すと、また新たな発見があります。
特に柴田さんが教育の世界からビジネスの世界に入ったときに、その「機械的、非人間的」なビジネスのあり方にとても違和感を覚えたこと、それでも「ホロン」や「ゆらぎ」といった概念がビジネスの文脈に入ってきたことで、ご自身の人生観をこうした企業の世界に打ち出す事ができた、とあります。すこしちがいますが、その昔コーチングというものが日本に導入されたとき、それまでの「アメとムチ」によって操作的に人を動かすということがあたりまえの価値観が主流であったときに、当時伊藤守さんが提唱された「人間が本当に動けるのは安心感である」という考えにも、目からうろこが落ちるような思いをしました。こうしてみると、人間は組織というものに適応するなかで、本来もっている自然な性質というものを失っていくのだなということをしみじみ感じるとともに、一方で、もともと組織や制度をいじったりすることを中心にしてきた自分にとって、人間というものの本質をよくとらまえろというこうした考え方は、自分のマネジメントのあり方、経営のあり方に大きな影響をあたえるものになりました。