成長できる組織
企業では、よく「社員の成長」を語ることが多いでしょう。アメリカのリコール事件の後の豊田章男社長の「社員の人材育成を疎かにして、利益追求したことがリコールの原因だった」という直球の自戒の言葉にも心を打つ物があります。
私自身も、「入社当時はどうなることやら、と思ったけれど、ずいぶん成長したなあ」と思う社員さんが何人もおられます。発達心理学のピアジェは、成長とは「自己中心性が減少すること」であると定義したことからも、こうした新入社員の方が、お客さまへの貢献という方向に目を向けてくれることが素直に成長と感じられます
一方で、如才なさを身につけたり、忖度ができるようになるというのも、ある意味「大人」になったようにも見えますが、こうしたことを成長と呼んでよいものなのか、むしろ自己中心性を助長しているだけではないのだろうか。また、組織の中での政治的な働きかけがうまくなることも、世知辛い社会の中で生き延びていく手段を身につけているともいえ、こうしたことも成長といえるのか、いえないのか、一言で結論づけることは難しいように感じます。
私自身が成長にもつイメージは、スポーツで記録が伸びていくといったリニアなものではなく、それまでもっていた価値観が転換されたり、あるいはもっている自己イメージが崩れるといったむしろ厳しいものあり、自分から進んで成長するというよりも、やむにやまれず直面せざるをえないことのように思います。
そして、そうした思いがけない状況というものは、天の采配のごとく避けがたく起こってくるものであり、そうした現実の中で組織ができることは、それでもそうした状況の中に自分の意思で対処できるという自己信頼と、それを支えるサポートを与えられるか、ということにつきるようにもおもいます。
そして、そうした体験を通じて、その人物が周囲の人と、社会的な地位や権力というものではなく、人間が本来有している信頼関係というものをより深く築いていけるか、そうした過程そのものが「成長」という言葉に値するように思えるのです。そして、これはむしろ経営者自身に突きつけられたテーマかと考えています。
その昔、風土改革に取り組んだときに「向き合い、支え合い、高め合う」というスローガンを考えました。わたしにとって「成長できる組織」にかわるものはこのスローガンなのかもしれないと、改めて思っています。ただし、20年前に考えたのは「相手と向き合う」がテーマでしたが、今はそこに「自分と向き合う」ということを加えたいと思います。
そしてその中で、社会から人的資源を預かっているものとして目指したいことは「人が活きる」組織をつくりつづけていきたい、ということにつきる、というのが現時点での結論です。