「役割意識」と「役職意識」
今日は、2か月に一度、スコラ・コンサルトの創業者である柴田さんを囲み経営者が対話する場に参加しました。参加されている経営者の方はそれこそ上場企業であったり、大きなグループ企業の経営者の方だったりするのですが、皆さん、風土改革という理念に共鳴されている方ばかりなので、そうした規模をこえてお話ができることをとてもありがたく思います。
今回は柴田さんの新著である「日本的勤勉のワナ」(朝日新書)に基づき、「考える」とはどういうことかという切り口での対話の機会を頂きました。
ポイントとしては、部長や役員といった、組織上の「役職意識」を持つことと、組織全体の志を実現するような、部門意識を越えた「役割意識」を持つことの違い、また日々仕事をどうこなすかという思考に陥りがちな中で、組織の存在意義や目的と言った、すぐには答えのすぐに出ない問いに対する、拓(ヒラ)かれた議論の場を持つことの重要性など、人間が広い視野をもって考えるようになるには、ということを深く掘り下げていきました。
通常の組織で、安定的に仕事をまわすには、部門に紐付いた「部長」「課長」という役職でどうふるまうか、ということを考えるが普通です。しかし、答えのない時代の中で、柔軟な変化を起こしていくには、そうした組織という枠組みを超えた「役割」や「使命」といったものを意識することから、考えるということが始まるというように理解しました。でも「役職」で動くことのどこがおかしいのかというのが、いわゆる組織人としての普通の感覚ではないかとも思います。
自分なりに解釈すると「役職」とは外から与えられた枠のようなもので、そうしたものに合わせて自分が演じる、あるいは人を動かす必要がある、一方「役割」は自身の内面から湧き出るエネルギーにあわせたもので、柴田さんが昔から強く主張される「軸」にもとづいて自らが動くという違いがあるように思います。
柴田さん、そしてスコラの考え方は、結局仕事を通じで「生きる」ということはどういうことなのか、ということを問いかけるようなテーマであり、組織に仕えるうえでそうした「青臭い」議論はあまり意味のないことではないかと思われることが一般的には多いでしょう。
しかし、支配するーされるという価値観でなりたってきた20世紀の組織がなりたたなくなっている今日において、どう働くか、ということと、どう生きるかということが重なることが必然として大きくなっているでしょう。そしてそこには、そういう視点で今の組織を自分としてどうよく活かしてくか、使っていくかという発想がうまれてくるでしょう。
柴田さんの新刊はいままでの改革の実践の中からの、ノウハウではなく考え方の元となる問いがさまざまにちりばめられていました。まだまだ柴田節は健在です。