幸福と自己決定
「幸せというものには基準がない、その人がそうおもったらそれが幸せだ」、という言説があります。「コップに水が半分しかない」なのか「半分もあってありがたい」なのか、的な議論はまさにその通りだと思います。
一方で近年はこの幸福そのものを研究対象にとりあげるというアプローチも見受けられます。世界の幸福度のランキングにしてもしかり、また慶應大学の前野先生のように「幸福学」を科学的に検証する動きもあります。
そうした中で、わたしが興味深くおもったのは、経済産業研究所(REITI)の「幸福感と自己決定ー日本における実証研究」という研究です。元々は人的資本と経済成長を研究されていた流れの中で、幸福感とはどこからきているのかということを、2万人にもおよぶアンケートにより解析したということです。
結果で興味深いのは、よく言われる「年収」や「学歴」といったものよりも「自己決定」をしてきたかどうかに「幸福感」が高い相関をしめしているということでした。そして日本人の幸福度のランクが低いことと、社会的に自己決定をする機会がすくないということが関係しているともいえるようです。
私がスコラ・コンサルトのアプローチに共感を覚えたのは、さまざまな方法論の中で見失われている「やらされ感」というものに早い段階から着目をしていたこと。また、これはやや言いにくいですが、企業の後継者として、自分の人生のなかで職業選択の「自己決定」についてきちんとむきあってきたのだろうか、という点も、組織の中での「やらされ感」に対して自分が敏感であることに関係しているようにもおもえるのです。
よく、伝統芸能の後継者が、その他の道を求めつつ、最終的に伝統芸能に独自の視点をいれて新境地をきりひらかれるケースを見ます。私もこの数年で経営学の学校に行かせてもらい、短期間ではありながら研究者の端くれの体験をさせていただいたこと、は自己決定という文脈の中で、自身にある種の化学変化がおこっている実感もあります。
組織の中では、仕事はいやでもやらされるものであり、やらねばならぬものであるということは事実かとおもいます。しかし、仕事が人生における幸せをつくっていくための重要なファクターであるととらえたときに、そうした制限の中でも、組織の使命や価値観にそって、そのときそのときの自己決定をできる機会をつくっていくことは、この研究のもともとのテーマでもある人的資本の蓄積という意味でも大きな要因となるでしょう。
自己決定には、そのことの結果を引き受けるというリスクをともないます。しかし、そうしたリスクをとりながら自己決定することそのものに、人間が人間たる主体性の発揮があり、受動的な、ときには世の中のできごとの被害者として感じてしまうことから自分を守る道であることもまた事実でしょう。
そうした自己決定のリスクを和らげてもらえるものが、同じ方向を向いた仲間との協働であり、また組織や経営が引き受ける器であるのでしょう。こうして個々が自己の幸福を勝ち得るために自己決定できる、そうした組織をつくれるためにも、まず私自身が、生業に対する自己決定のとらえかたをしっかりとみつめると同時に、自己決定を、我が国にありがちなリスクとしてとらえるのではなく、まさにそこに幸福の源泉があるのだ、と社員の皆さんに感じられるような環境作りをしていくことの大切さを、この研究からあらためて感じています。
独立行政法人経済産業研究所「幸福感と自己決定―日本における実証研究」